2005年12月6日

そんな一日

 まっすぐに原稿書きをしている。ひたすらパソコンのキーボードを打ち続ける。
 深夜、気分を変えるために、ファミレスに愛用のパワー・ブックを抱えて行く。寒い。深夜のファミレスで、ひとり、原稿を書き続ける。もりもりと、原稿を書く。コーヒーのお代わりをしながら、とにかく書いていく。文章に詰まったら、タバコに火を点け、虚空を見上げながら頭の中で文章を探す。近くのテーブルに若者たちのグループ。笑い声。店内のBGM。
 ふと、良いフレーズを思い付く。その言葉に刺激されて、新しい文章が出来て行く。文章は連想ゲーム。まるで、原稿執筆マシーンになったように、私は書き続ける。
 原稿書きのために私はいま生きているんだ。楽しいことなんか、この先もうないんだ。そう考えたら、やさぐれてしまった。
 まだまだ原稿は終わらない。
 原稿を待ってくれている出版社が沢山ある。不義理の極み。
 だから、今日も原稿書きで一日は過ぎていくのだ。

投稿者 タカイチアラタ : 11:23 | 日々雑感 | - | -

2005年12月4日

スタジオ収録

 今日…じゃなくて、もう昨日のことであるが、虎ノ門に行ってきた。
 虎ノ門にある「発明会館」というビルにだ。
 えー、わたくし、とうとう発明家としてデビュー(どこにデビューするんだ)することになったのであります…なんてこと全くなく、「発明会館」と名付けられておりますが、そのビルの3階にある「FM東京」の収録スタジオに用があったのである。

 このスタジオに何の用があったのか?
 それは、来年1月20日発売(これ決定である)の三笠書房から出る「書き下ろし文庫本(知的生き方文庫)」に付録でつけるシングルCDのナレーション録音のために、出向いたのである。

 スタジオには、三笠書房の担当編集者、製作部課長、S録音の音効エンジニア、ナレーションをお願いしたプロのナレーターMさん、そして私の5人が集結したのであった。

 集結なんて言うと、何だかこれからどこかに討ち入りするような感じがして、実に勇ましいのであるが、実情はというと、私、寝不足で朦朧としながらスタジオでほとんどボーゼンとしていたのであった。

 しかし、私がボーゼンとしていては何もはじまらない。なにしろ、ディレクションをしなければならないのである。ナレーション収録の演出をし、その後、音楽・効果音を決め、ナレーションのどのタイミングでそれを乗っけるのか、という決定をし…と、まあ、私がボーゼンとしていては、何も進まないのである。

 シングルCDはおおよそ22分間収録できるのだが、私が作ったスクリプト(台本)は、ちょっと長めになっているので、それを実際にナレーション収録しながら、ばしばし修正短縮していかなくてはならない。ボーゼンのオトコからモーレツのオトコにスイッチをオンにするのである。

 最初、三笠書房は、スタジオを丸一日押さえるつもりであったようだ。ナレーション収録に一日かかると思ったらしい。しかし、私、自慢じゃないけど、スタジオ・ワークは、20年以上のキャリアがあるので、この程度の分量の演出なら1時間もあれば終わらせる自信がある。私、昔からスタジオ・ワークの手際の良さには定評があるのである。
 三笠書房にそう言ったら、スタジオを2時間押さえてくれた。

 まずは、ナレーターのMさんと打ち合わせ。どのタイミングで私がキュー(きっかけ)を出すのか、スクリプトにびしばし書き込んでいただく。その間、音効エンジニアの方が、マイク、音声、録音チェック。その準備が整い次第、Mさん、ナレーターブースに入る。私はガラスで仕切られたこちら側の調整台のディレクター席に座る。ガラス越しにMさんと、トークバックマイクを通して最終打ち合わせ。

 まずは、ナレーションの一節を、スピードとニュアンスを変えて3パターン読んでいただく。最適なスピードとナレーションの読み方をそこで決定するためだ。
 Mさん、ラジオ番組でナビゲーターもやっている方なので、さすがに上手い。私の要求通りにパターンを変えてくれる。

 いよいよ、録音スタート。

 人によってやり方はいろいろあるが、私の場合は、ライブ感を出すために、一発録音しながら、NG箇所をやり直す、というやり方を昔からしている。まあ、ディレクターによっては、最初に通し稽古のように、あらかじめ最初から最後までテストで読み合わせをしながら、その後、ブロックに分けて本番録音、という人もいるが、これだと、時間がかかるし、ライブの生きの良さが出てこず(その代わり作り込んだ面白さはできるが)、私としてはあまり好みではないのである。

 そんなこんなで、収録は順調に進む。途中で台本を修正変更したり、読み方を変えてもらったりしながら、一気に最後まで録音していく。

 終了後、今度は音楽と効果音を決める。
 あらかじめ要望を出しておいたので、その要望に沿った音楽と効果音を数タイプずつ音効エンジニアの方が用意してくれているので、これは、その場で音を聞きながら、どの部分にどの音楽と効果音をいれるのか、ということを、私が決定すればいいだけなのである。

 これも、順調に進んだ。

 で、無事、全ての作業が終了。
 所要時間、55分である。
 こんなもんでしょ。

 実をいうと、このスタジオ、私が28才から33才までの5年間、毎週通っていたスタジオなのである。当時私は、某テレビ局に在籍してテレビ番組の制作をしていたのだが、それとは別に(会社には内緒で)ラジオCMの製作も個人で請け負っていたのである。で、その5年間で、おおよそ700本のラジオCMを製作したのであるが、そのほとんどを、このスタジオで収録していたわけでありますね。

 だから、三笠書房からこのスタジオを押さえたと連絡があったとき、非常に懐かしく感じたのである。13年ぶりに来てみたら、周囲の情景は変わっていたけど、ビルとスタジオは、全く変わっていなくて、笑ってしまった。

 久しぶりのスタジオ・ワークだったが、やはり身についた条件反射は衰えてなかったなあ、と、ひそかに自画自賛した次第でありました。

 三笠書房知的生き方文庫から出る本のタイトルは「幸福イメージトレーニング」になる予定。
 2006年1月20日、全国の書店から発売決定であります。
 シングルCD(全部で5つのイメトレが収録)の付録付で、定価600いくらかになるそうだ。
 安くてお得だね。

 まだ、原稿は全部出来てないので(大丈夫か?)、あと数日で仕上げなければならないけど(^^;)。原稿執筆もスタジオ・ワークのように手際よければよかったのにね(_ _)

投稿者 タカイチアラタ : 03:00 | 出版 | - | -

2005年11月24日

白衣の天使は死語ではないのだ

 病院ネタをもうひとつ。

 今回数日間入院して、病院内の様子をしみじみと観察して思ったのだが、病院内で働く人々というのは、本当に大変な仕事をしているのだなあと感じ入ってしまった。

 特に、看護婦さん。(正式には看護師なのだろうが、やはりここでは看護婦さんという呼び方をしたい。これは、尊敬を込めての呼び方である)

 昼間の業務は、私たちは通院する機会がたまにはあったりして、まあ何となくその忙しさをイメージできるだろうが、夜間の病棟内における看護婦さんの仕事ぶりには、いやはやまったく、頭が下がる思いである。

 私が入院していた外科のフロアでは、全部で15名ほどの看護婦・准看護婦さんが所属していて(さらに看護助手が7〜8名)、ローテーションで、「早番(午前6時〜午後3時)」「日勤(午前9時〜午後6時)」「夜勤(午後3時〜午前0時」「当直(午後8時〜翌朝午前9時)」の4勤務体系を、順番に繰り返していた。特に、夜勤と当直は、3〜4名のグループで、とにかく一晩中病棟内を小走りで歩き回っているのである。

 病棟内の各ベッドの枕元には緊急用ブザーがあり、あちらでブザーが鳴ると、急いで駆けつけ、その患者の容体を確かめ、何らかの手当てをし、ほっとする間もなく、別のベッドから呼ばれ…と、永遠の無限ループのように、とにかく看護婦さんたちは走り回っているのだ。もちろん、仕事はそればかりではない。1時間ごとの夜間巡回に、お年寄の患者や足の不自由な患者の下の世話に、他愛もない患者のグチの聞き役から、ひとりひとりの体調管理まで、息つくヒマもない、というのはまさにこのことであろう、という働きぶりなのである。

 何しろ、病人はわがままなものである。自分第一に考えてしまうのが当たり前なのだから、ちょっとでも看護婦さんの来るのが遅くなったら、あからさまに文句や不満を言う人間も、中にはいるものだ。しかし、驚いたことに、私が入院している間に見た「全ての看護婦さん」たちは、どんな患者のどんなわがままに対しても、いつでも笑顔であった!

 これは、本当に驚くべき仕事だし、尊敬に値する職業であると、私は思うのだ。

 命に関わる仕事なのだからそんなの当然じゃん、などとほざいてはいけない!
 彼女たちの仕事は、命に関わる仕事だから尊敬に値するのではなく、「息つくヒマもない」状況の中で、決して不満や不快な表情を患者に見せることのない、そのプロフェッショナルな姿が感動を与えるのである。

 白衣の天使、という言葉。
 この言葉を実際に体現している沢山の人たちが、いま、この世の中に現実にいる。

 尊敬に値する人間というのは、こういう人たちなのだと、本当に思う。

 それにしては、世の中の評価が低すぎると思うのは、私だけであろうか。
 報酬だって、その仕事ぶりや職業的価値に比べたら、驚くほど低いし、社会的な評価だって、へたしたら単なる医者の小間使い、もしくは、雑用係、ぐらいの認識しか持たない人だっているような気がする。

 こういう人たちがもっと認められる世の中がいいなあ、と、私は思うのであった。

 金儲けの達人より、私は、命をほぐす看護婦さんを尊敬したい。

投稿者 タカイチアラタ : 20:01 | 日々雑感 | - | -

2005年11月23日

退院!

 入院生活9日目。

 「お腹のレントゲン結果なんだけどね」
 と、担当医のY先生が眼鏡をキラリンと光らせて言う。
 「はあ…(ちょっと不安)」
 と、私。
 「ぜーーーんぜん問題なし!」
 「(ほっとため息)」
 「じゃ、退院しようか?」
 「は?」
 「だから、退院」
 「…もうできるんですか?」
 「はやいね。直るの」
 「はあ」
 「予定より随分はやいけど、退院しちゃおう」
 「本当に?」
 「本当に」
 「あ、ありがとうございます」
 「いやいや。それにしてもあなた、回復力あるよ」
 「そりゃ、どうも」
 「年なのに」
 「いやいや」
 「おまけにコレステロール値が高いくせに」
 「…(そりゃ関係ないだろ、と、心の中で突っ込む)」
 「はい。お疲れさまでした。それじゃ、退院、ということで決定ね」
 「どうも、ありがとうございます」

 てなわけで、入院生活9日目にして、トートツに退院を言い渡されたのでありました。で、久しぶりに家に帰ってまいりました。めでたしめでたし。

 最初の検査、および、その結果による治療予定では、手術の可能性が半々だったのだが、我が肉体は、予想以上の自己治癒力を示し、お見事、予定よりも1週間以上もはやく退院できるまで快癒したのであった。えらい。

 こういうとき、
 「うむ。これは、イメトレで肉体の快癒をイメージしたからだもんね。さすが潜在意識はスバラシイ!」
 と、(意味なく)言い切ってしまえばカッコいいのかもしれないが、あいにく私は、潜在意識万能主義者じゃないので、そんなことは言わないのである。

 私は、このブログの入院記録でもよく分かるように、明らかに自らの入院生活という非日常的出来事を楽しんでいた。出来るだけ客観的に自らの状況を眺め、そこから何か普段とは違う景色を観察し、それを楽しんでいた。

 それは、苦悶悶絶していた入院当初から同じであったのである。
 「手術を考えましょうね」
 と、担当医から言われた入院2日目にも、
 「ああ、手術かあ。そんじゃ、手術の様子も丸ごと記録したら、面白いかなあ」
 などと、不埒で不謹慎なことさえ考えていたものである。

 要は、私は、「いまいる場所」と「いま自分が受け取っている状況」を、丸ごと認め、そこでなるべく楽しめるような気分を持ち続けていたわけだ。
 まあ、結果的に大した入院生活ではなかったので、こんな(エラソーな)ことが言えるのだと思われるかもしれないが、もし、私がこの先、例えば治癒の難しい何らかの命に関わる病気(今回もちょっとは命に関わったんだけど)になったとき、私はやはりその状況を私なりに楽しんでいくだろうと、思うのである。

 こういう心の状態に自分がなることができたのは、何故だろう?
 いつのまにか、自然に身についたものだろう。
 たぶん、ひょっとしたら、きっと、イメトレを日常の習慣とすることで、「目の前に起こることを判断しない」で「ありのまま感じ」「味わう」ことができるようになっているのかもしれない。
 …と、我田引水的ではあるが、そう解釈してみよう。ま、いいか。

 しかし、突然はなしはシリアスな方向に向かうのであるが、人間の命というのは、はかないものであることに、改めて気づかされた。
 今回、私が入院していた同じ病棟内には、いろんな病気の方々がいた。年齢も様々だ。どの方も、それぞれの人生の中で、病気というむき出しの困難にぶちあたり、それぞれの生き方や考え方から生まれた「病気に対する向き合い方」をしていたのである。

 それは、とどのつまり、「生き方」そのものであり、その同じ軸にある「死に方」そのものであったのではないのか?

 私の命も、彼の命も、彼女の命も、いまこの瞬間では、常に同質であり、同じ重さであろうことを、私は理屈抜きで感じたのである。

 で、私は思うのだ。
 いまこの瞬間死を迎えたとしても悔いのない生き方をしているのか?
 と。

 私は、自分が心から望むことしか、この先しないでおこうと思う。余計なことはしたくない。人生は、長いようで短いのだから。

 とりあえず、本の原稿を真面目に書こう(笑)。

 

投稿者 タカイチアラタ : 22:25 | 日々雑感 | - | -

2005年11月21日

入院8日目・腹部レントゲン検査はいかがなものか?

 入院生活8日目。

 昨夜は看護婦さんから「睡眠導入剤」を1錠いただく。飲む。朝までぐっすり!

 腕の点滴がはずれた。うーむ。気分がいい。

 午前中に検診2回。それに、腹部レントゲン撮影と採血。

 「お風呂入りますか〜?」
 と、朝食後、看護婦さんが聞きに来る。
 「うんうん、入る入る入ります!」
 と、逆上気味に返答。
 そのまま風呂場に直行。
 9日ぶりの風呂。頭をごしごし洗う。気持ちいい。

 気分と気持ちの良い普通の生活は、気分と気持ちの悪い強欲煩悩視野狭さく生活の1万倍スバラシイものである。

投稿者 タカイチアラタ : 11:17 | 日々雑感 | - | -

2005年11月20日

入院7日目・出世粥

 本日の朝食は七分かゆだった。昨夜が五分かゆで、順調に出世している。点滴の本数も4分の1に減る。1日24時間点滴のオトコであった私が、いまでは1日6時間点滴のオトコに成り上がったのである。何事も、出世というものは気持ちの良いものである。

 さて、昨夜はよく眠れなかった。
 というのも、少しお腹が痛かったからだ。
 原因ははっきりしている。
 眠る直前に、病院内にある飲料ベンダーで、「ペプシコーラ」のカップを購入し、それを(こっそりと)飲み干したせいである。

 うむむ。
 やはり炭酸飲料はまだ早かったか。
 まあ、それほど大した腹痛ではなかったので(実際しばらくしたら収まったし)ほっとしたのであるが、その後、コーラを私が何故好きなのか、という哲学的考察をしていたら、どうにも目がさえて眠れなくなってしまったのであった。

 私がはじめてコーラを飲んだのは、小学生のときだ。近所の駄菓子屋に、ある夏、突然見慣れない瓶が飾られているのを発見したのである。

 その瓶は、シースルーでスリムなグラマラス・バディで、腰のくびれを強調された、何だか色っぽいものであった。スリムなバディの中には、黒い液体が入っており、これがコカコーラだよ、と、駄菓子屋のおばばに教えられ、
 「へーこれがコカコーラかあ」
 「アメリカ人はこれをお茶代わりに飲むんだぜ」
 「うっそーだー」
 「げげげっ」
 「きんもちわりいっ」
 などと、私たちガキどもは盛り上がっていた。
 そのうち、誰かが、
 「よーし、飲んでみよう!」
 と、勇気ある決断をし、数人で1本のコカコーラを購入し、プシュッと栓を開けたら、シュワワワワー、と泡が吹き出して、うっひょーなんだこれ、なんて、それだけで異様に興奮するのだが、実際に口に含んでみたら、なんだか薬っぽい味がして、私たちは口と鼻を歪ませたものであった。

 その夏の日から40年近く経ち、私はいまでは、毎日コカコーラを飲んでいる。暑い日も寒い日も暖かな日も雲の多い日も晴天の日も、雪が降ろうと雨が降ろうと牛が降ろうと(降らないけど)サダム・フセインが降ろうと(降るわけないけど)ジョージ・ブッシュが降ろうと(だから降らないけど)お金が降ろうと(降ったらいいなあ)、とにかく私は、コカコーラが人生最大のヨロコビ的な毎日を過ごしているのである。
 40を越えたもうすぐ50にも手の届きそうなオヤジが、相変わらずコカコーラ命の顔をしているのも、まあ、なんだかなあ、な、はなしではあるが、私はとにかくコカコーラが好きなのだから仕方ない。

 で、昨夜、コカコーラはなかったので次善の策としてペプシコーラを飲んだわけなのだ。そして、腹痛が起こった。

 やれやれ。
 反省しよう。

投稿者 タカイチアラタ : 11:36 | 日々雑感 | - | -

2005年11月19日

入院6日目・意味とヨロコビ

 入院生活6日目。

 ああ、うれしい。
 待望の食事!

 ◎朝の献立:三分がゆ、大根の葉っぱの薄味みそ汁、コールスローサラダ、
       トマトのピューレ、のりの佃煮、豆腐とはんぺんの混ぜ物、牛乳

 ゆっくりと味わうようにいただく。
 5日間の完全絶食の後のせいか、食物が食道を抜け、胃に降りていく様子がよく分かる。ああ、人間はこうやって食べ物を体内に取り込んでいるのだなあと、改めて実感する。
 しばらく経つと、胃から腸に摂取した食物が降りる様子を感じる。その際、胃から下腹部にかけ、ぐるぐるとかなり大きな音を立てる。久しぶりの食物に内蔵が全身でヨロコビを表現しているかのよう。自分の身体の仕組みに感動するひととき。

 食後、今日から出された4種類の薬を飲む。苦い。

 ところで私は現在、外科病棟に入院しているのだが、本来なら内臓疾患は内科である。それが何故外科病棟なのかというと、当初、手術する可能性が非常に高かったせいだからだ。絶食もそのためだったし、24時間点滴もそのためだったし、まあ、いまでもまだ手術する可能性はあるのだろうが、担当医のはなしによると、予想外に快癒に向かっているので、このままいけば手術なしですみそうだ、ということらしい。

 同部屋の人たちは、みな、手術後か手術待ちの人たちである。なんだかみなさん、「病人の顔」をしている。当たり前か。私も他の人から見ると、やはり「病人の顔」をしているのだろうか? ちょっと気になる。

 病院に担ぎ込まれて最初の2日間は、私はほとんど身動きできなかった。何故ならかなりの重症だったから。それが、いまではヒマさえあればちょろちょろと(点滴をつけながら)動き回って(病院内だけど)落ち着かないこと甚だしい。先生の巡回時にもいない時もあって、探されたころも数度あるので、私は先生や看護婦さんたちからみたら、はた迷惑な患者であろう。申し訳ない。

 今回の入院期間中、全身の精密検査も行った。

 ◎胸部レントゲン2回
 ◎腹部・下腹部レントゲン8回
 ◎腹部・胸部CTスキャン1回
 ◎血液検査3回
 ◎心電図1回
 ◎投影剤摂取による胃と腸の検査2回

 ほとんど人間ドッグである。その結果、私の体のイエローゾーン、および、レッドゾーンが明らかにされたのであった。診断結果をここに書くのもどうかと思うが、そもそもこの「入院日記」そのものが個人的露悪趣味的記録なので、書いてしまうのである。

 *白血球数が通常値の2倍
 *小腸と大腸に腫れと癒着
 *肝臓の腫れ
 *不整脈の恐れあり
 *コレステロール値○○○(この数字は伏字にしよう。恥ずかしいから)
 *中性脂肪値○○○(ここも伏字ね)

 ■診断結果
  今後心筋梗塞の恐れあり。要・服薬。

 だそうだ。ふーん。原因は、言わずもがなではなるが、不摂生と不規則な日常生活。まあ、46年(もうすぐ47年)も同じ身体を使ってりゃ、どこかの性能に不具合が生じるのは仕方のないことだ。機械も人間の身体も変わりはない。これが物理といもの。メンテナンスをしながら、性能を向上させていく、もしくは、性能を維持していくのが、正しい自己の身体とのつき合い方なんだろうね。

 もうちょっと本日の記録をつづける。

 今回入院して、私が感じたこと、新しく発見したこと、実は、沢山ある。言葉にできることもあるし、できないこともあるが、生きる場所が変わると「感じること」「考えること」「見えること」「気づくこと」が変化する。今回の「変化」は、私に何かをもたらすだろうか?

 私は常にどんな場所にいようと、なにごとかを新しい視点で見たいと思う。同じ視野ではなく、どこで誰と何をしていても、自分の中に存在しない視野に驚き、感動し、興味を持ちたいと願っている。そうやって生きることが、私には生きる意味を与えてくれるのだと思うのである。

 人生に幸福を探し出すのではなく、いまいる場所から見た景色に幸福を感じられる心を、私は大事にしたいと思う。「人生に意味があるのではない、人生から私たちは常に意味を突きつけられている」VEフランクルのこの思想を、私はいま、あらためて噛みしめている。

 たぶん、当初の予想より早く退院に至るものと思われる。よかったよかった。

投稿者 タカイチアラタ : 10:55 | 日々雑感 | - | -

2005年11月18日

入院5日目・40年前の傷跡

 私のヘソには、長さ15センチメートルほどの傷跡がある。ヘソを中心に上下に伸びた、一見すると世をはかなむあまり、おのれと、割腹自殺を計ったはいいが、躊躇しているうちに未遂に終わってしまってできたようなヒジョーに目立つ傷跡である。

 この傷跡、実は、40年前についたものだ。
 40年前といえば、私がまだ6歳のときである。
 さすがに早熟な私でも、6歳で世をはかなむ、なんてことはないので、この傷跡は残念ながら割腹自殺未遂の跡ではない。

 これは、小腸の手術を受けたときについた傷跡なのであった。なんという病気か、何度病名を聞いても分からないので、未だにその病名を尋ねられても困るのだが、とにかく、私が6歳のとき、小腸に問題があって7時間の大手術を受けた痕跡が、このヘソの傷跡なのである。

 さて、今回、私は「腸閉塞」なる病状で、緊急入院しているのだが、この原因がよく分からなかった。担当の医師も、最初は首を捻っていたのだが、私の内臓を子細にスキャン、というか、検査したところ、小腸で3箇所、大腸で1箇所の癒着と腫れと詰まりが見つかり、その根本的な原因が、どうやら40年前に手術した小腸患部周辺にあることが分かったそうだ。

 他に原因も見当たらないので、どうやらそれが今回の病状の原因であると、担当の医師たちは(ほぼ)断定したのだという。

 へえ。40年も経ってそれがまた原因になることもあるんだなあ。
 と、私は正直な感想を告げたところ、
 「何年経とうと、人間の身体に手を加えると、それは後々まで何らかの形で影響を与えるものなのだよ」
 と、柔和な顔をほころばせながら、担当医は説明してくれた。

 面白い。

 何だか今回の入院で、いろんな発見をして、ちょっと面白いのである。

 さっき、編集Fが、会社をサボって(笑)見舞いに来てくれた。お見舞いに本を2冊。編集Fが企んでいる「実存主義的物語」に関する資料である。ふーん。わざわざありがとう。

投稿者 タカイチアラタ : 11:32 | 日々雑感 | - | -

2005年11月17日

水分摂取解禁のばか笑い

 つい先ほど「水分摂取」解禁を主治医の先生から言い渡された!

 本日、2時間おきに行った「小腸・大腸・直腸における繊毛運動検査(っていうのか?)」で、とりあえずほぼ正常に我が「小腸・大腸・直腸」が動いていることが明らかになった、らしい。で、まずは「水分摂取解禁」の沙汰が下されたわけなのである。

 ああ、4日ぶりの水分摂取…

 この「水分摂取解禁」は、江戸時代における「横浜港開港」に等しい出来事なのである! 江戸時代の「横浜港開港」が後の明治維新の積極的先駆けとなったように、本日夕刻に下された我が「水分摂取解禁」は、後の「食生活完全自由化的平成維新」の先駆けとなるであろう!

 えーと、どうもいささか逆上気味で何を言っているのか分からなくなってしまったが、とにかくわたくしは、只今より「水分摂取の儀」を執り行うのである。

 いま、わたくしの目の前には、先ほど病院内の自動販売機で購入した、ITOEN「APPLE TEA」ペットボトル140円なりが鎮座まします、のである。

 では、諸君、乾杯、なのである!
 ぐびり!

 それにしても、「飢餓」と「渇き」は、人間の本能的な欲求であり、それが完全に制限されたときの辛さは、これこそ経験してみなけりゃ分からないことであるなあ、と、いみじくもわたくし、今回しみじみと感じ入ったものである。経験しなけりゃ分からないことは、人生まだまだいくらでもあるってもんだ。うん。

 そうそう。今回の我が「腸閉塞」の原因が明らかになったのだが、それはどうも、40年前に遡る驚くべき事実がその根本にあったのであった。(この文章も逆上気味なので、これについては明日報告)

投稿者 タカイチアラタ : 19:35 | 日々雑感 | - | -

2005年11月17日

入院4日目の記録

 入院4日目。絶食生活4日目。

 本日、腸の動きを見るために「造影剤」を飲まされる。いやはや、丸々4日ぶりの「水分」だというのに、この苦くて不味いこと! 350CCほどの小ぶりの茶色の瓶を、栄養剤のようにぎゅいっとキャップをひねってフタを開ける。無色透明の液体の匂いを嗅ぐと、まるで焦げたゴムのような匂いがする。看護師のおねえさん、にやりと笑い、
 「さあ、一気にどうぞ」
 と、唇をひくひくさせているのである。
 私は、えいやっと、一気飲みしましたね。うぐうぐうぐ。げほ。涙が出てきた。えーと、あごの辺りが痛いんですけど。
 「ああ、きっと、唾液腺が刺激されて痛くなるんでしょ」
 と、看護師のおねえさん。
 「それだけ不味いってことですね。むふ」
 本当に不味いものを飲んだり食べたりすると、唾液腺が刺激されてあごの下が痛くなるんだってさ。へえ。面白いねえ。

 その後、2時間おきに腹部のレントゲン撮影。もうすぐ、本日最後の撮影が終わる。この造影剤の様子を見て、明日から水分、及び、食物を摂取可能かどうか判断されるのである。どうぞ、腸が働いてますように。

 あまりにも夜が長くヒマである。原稿書きには最適かも、ね。

 

投稿者 タカイチアラタ : 15:30 | 日々雑感 | - | -

| Top